久し振りに帰省した友人と過ごした日

米国に住んでいる友人が1年半ぶりに帰省することになり、ホテルでランチしようということになりました。いつもなら気軽な感じの場所にするのですが、たまには高級感のあるホテルの和食処もいいと思い予約を入れておきました。

ちょっとした遊び心で、仕事で出張中の30代半ばの女性2人という設定にして和食処に行こうということになりました。いつもなら2人ともカジュアルな服装で会うのですが、今回は2人ともスーツを着て出張中のキャリアウーマンになり切って待ち合わせ場所で会いました。たまにスーツを着ると新鮮な感じがしました。

ランチの会席料理は素晴らしく、料理の見た目の美しさと美味しさで話も一層はずみました。友人は米国の大きな都市で働いており、私は田舎の小さな町に住んでいます。全く違う環境と生活なのですが、不思議なことに話は尽きません。公私共にお互いにいろいろなことがありますが、普段は電話やスカイプでその都度話すわけではなく、メールも年に2回位しかせず、こうして会った時にいわば事後報告のような感じで話します。ランチの後は、次に会うのを楽しみにしてそのまま笑顔でお別れです。久し振りに会うのだからと出来るだけ一緒に長い時間を過ごすこともなく2時間程のランチタイムを過ごすだけなのです。それでも帰省した時は必ず会いたいと思い、帰省時期の連絡をもらうと美味しいランチの場所を探すのが楽しみとなっています。

この日は天気が良かったので、友人と別れた後で近くにある公園に行きました。その公園は海のそばにあって海の上に遊歩道(橋)がかかっています。のんびりと遊歩道を歩いて海を見ながら、今日友人と話した内容や、少し気が早いけど次に会った時はどこでランチを食べようかと考えていました。友人から近い将来日本に戻ってきたい旨を聞いた時はとても嬉しく思いました。何となくですが、多分この友人が日本に帰ってきても今迄と同じような感覚で会うような気がします。年に1回思い出したように会って話して、じゃあ又来年会いましょう、という感じです。そんな感じのあっさりした関係でも、お互いに会っていて心地よく信頼関係もあるので、きっと友人とはこのままの関係でいいのだろうと思いながら遊歩道を降りました。


フィリピンで乗るマツダ・デミオ

フィリピンにて日本から中古で輸入されてきたマツダ・デミオを使用しています。

型式がDY3Wという、2代目デミオの1300CCモデル、AT車です。このモデル自体、日本では2002年から2007年まで販売されていて、当方のは2003年の前期モデルにあたります。

車体色も白なので、日本で見かけたなら、ただの営業車的なものでしょうか、ここはフィリピン、エアコンがあるだけでとっても重宝しています。
もともと日本では車が好きで、初代ハチロクなど色々乗り継いできたのですが、今は日常の足として安価で譲り受けたこのデミオを2年ほど使用しています。

フィリピンでは左ハンドルがマストなため、デミオもこちらでの登録時に左ハンドル仕様にコンバートされたのが、大きな違いでしょうか。この車に対するインプレッションですが、当時のマツダらしくハンドリングはキビキビとしており、足廻りも適度な硬さです。

ただ、さすがに1300CCのAT車にこの大きな車体というだけあって、出だしが今一歩物足りません。この型のデミオより、可変バルブタイミング機構が搭載されてたのですが、タコメータを見ながら加速してみると約3000回転で作動しているようです。
ここから上は一枚かさ上げされたパワー感があり小気味よいのですが、問題はそれ以下の回転数です。

通常の信号スタートならまだ何とかですが、一番つらいのは登り坂で歩くようなスピードに落ちてからの再加速です。Dレンジに入れたままですと、1速に落ちず2速で頑張ろうとしますが、数秒を頭で数えながら再加速を待つイメージになります。

アクセルを大きく踏み込めば1速へ落ちるのでしょうが、気分的にそこまで踏みたくないという思いにさせます。この当時のATも、Dレンジ、Sレンジ(スポーツのSではなくスロープのSらしいです)、Lレンジとなっており、加速を補うためにギヤを変えるのですが、慣れても使いにくいです。ちなみに1速に強制的に落とすためには、Lレンジにした上でODボタンを解除する必要があります。

マニュアル車だったら補えるのに、と思う残念なポイントです。購入したときの走行距離は9万キロ弱でしたが、2年半近くで12万キロを超えました。その間のメンテとしては、ブレーキブースター交換、ミッション交換、ステアリングリンケージ類交換です。走行距離と年数を考えれば妥当なもので、充分に丈夫な車です。少々難があったのは、フィリピンではこの型のデミオは出回っていないため(3代目からはディーラーで販売されてます)、部品探しに苦労することです。幸い、1件腕の良い修理工場を見つけたので、いつも交換部品はマニラ市中のどこからか中古を探してきてもらっています。日本ではもう廃車の運命を辿りそうな我が愛車ですが、まだまだ当分、フィリピンの道で活躍してもらう予定です。
131817s


事故車、不動車になり手放した

今まで乗った車の中で一番嫌な手放し方となった車です。
当時、自分がまだ若かった頃は、車の車高をベタベタに落として乗る事がはやっていて、私もはやりに乗ってその様にして乗っていました。
しかも高級車を乗っていたので中古車で購入したとは言え、購入金額は大きかったです。

段差や出かけた時の駐車場にはかなり気を使って乗っていましたが、その日は久しぶりに夜のドライブに出かける事になって、今まで走りなれていない道をナビを利用したりしながら運転していました。
そして高速から下りてしばらく走っていた時に、いきなり車が前につんのめる形で止まってしまいました。

最初は後ろから自分の車に、後続車がぶつかったと思って後ろを振り返りましたが、後ろには後続車どころか自分の車以外、他の車が走っていない状態でした。
状況が全く把握できなくて、車から降りて確認した所、なんと車の前に段差がありました。工事などをしてそこだけが盛り上がっている状態でした。

自分の車の車高が低いので、その段差を超える事が出来なくてつまずいた様な形になってしまっていました。良く見ると、車の足回りが大きく変形していました。バックして車を動かしてみましたが、真っ直ぐに自走自走する事が出来る状態ではありませんでした。ハンドルが取られてしまって、このまま家まで帰るなんてとうてい無理でした。

いわゆる、事故車、不動車の状態でした

しばらく考えましたが、レッカーしかないと判断しましたが、そこでまた問題があり、当時はジャフに加入していなかったので何の割引なども受ける事ができない事。しかし仕方がないので連絡をして来てもらいました。そこでやはり、足回りが駄目になっているのでこのまま自走して行く事は不可能と判断されました。

どこまでレッカーをして行くかと聞かれましたが、その時の時刻が深夜だった事も合って、近くの車屋、修理してくれる所もない状態。仕方がないので取りあえず家までレッカーしてもらって後日、何とか引き取りに来てもらって修理しようと考えました。

家までは高速を乗って隣の県まで来ていたので、覚悟はしていましたが、深夜料金も上乗せされてビックリするような値段でした。帰る足がないので隣に乗せてもらいましたが、何とも悲しかったです。後日、修理をお願いしたいと連絡をして引き取りに来てもらいましたが、修理の値段を聞いて、これまたとんでもない値段でもう、乗ることを諦めました。引き取り額は勿論事故車の現状だったので、大した額にはなりませんでした。これでこりて、それ以降は車高を下げたとしても少しだけにして乗るようにしました。大きな買い物をしましたが、乗った時期も一番短かったし、レッカー代などで短時間で一番お金がかかって手放した車となってしまいました。


急いでネットで実印作成

専業主婦をしていると、印鑑証明を使うということは皆無です。住宅ローンの申し込みも親戚の子の奨学金の保証人も夫の名義ですから、夫は印鑑登録をしていますが、私は実印も持っていませんでした。

それが、父が亡くなり、銀行の名義を変更するときに銀行から提出をもとめられました。名義は母にすることにしていましたが、被相続人である子供の全員の印鑑証明が必要だということでした。名義人が亡くなると銀行預金は凍結されてしまいますから、名義変更の手続きは早くしなければなりません。でも、印鑑すら持っていないのですから、まずは印鑑を作るところからのスタートでした。もちろん、印鑑登録をするのに文具店で売っている、普通の三文判と呼ばれるものでも、登録できないということはありません。登録できないのは、シャチハタのようなスタンプ印です。

ただ、印鑑証明というのは、土地、建物の名義変更だとか、各種ローンの申し込みだとか、財産に関わる手続きに必要な大事な書類です。簡単な印鑑では不安でした。弟は住宅ローンの申し込みの時に急いでしたのか、本当の三文判でしたので、手続きをお願いした司法書士さんに「この手続きが終わったら、印鑑の変更をお勧めします。」と言われていました。母は母で、少し珍しい姓のためすぐ買えないので、実印も銀行印も同じものを使っていました。それも、「変更したほうが、安心ですね」と言われました。

さて、実印などの印鑑を作るにしても、葬儀に準備などで目の回るほど忙しかったので、最速で印鑑をつくるのはネットがいいだろうということになりました。
調べてみると、字体も材質も豊富にそろっていて、サイズもわかりやすく、しかも5日ほどで自宅に届きました。
印鑑専門店まで行くような時間も、心の余裕もありませんでしたし、注文に行って、また受け取りに行って、といった手間を考えても、ネットで注文して正解だったと思います。

出来上がりも満足のいくものでした。わたしの印鑑を見て、母も頼んで欲しいといって、新しい実印を作りました。普段、実印なんて使うものではないので、いざ必要となった時にあわててしまいましたが、本当にネットで注文できて良かったと思います。
私は姓名の実印を作りましたが、結婚する前ならが、名だけで作ることもあるようです。材質についても木や石など色々あって、詳しく説明が書かれていたので、それぞれの特徴がわかってとてもよかったです。注文も簡単で、出来上がりのイメージも確認でしました。
367144s


生まれて初めてのインフルエンザ

先日、生まれて初めてインフルエンザにかかってしまいました。B型です。

初めは、少し微熱でのどの痛み、頭痛、咳があったので、風邪をひいてしまったかなと思い風邪薬を飲んで様子を見ていました。そして、週末念のためかかりつけのお医者さんへ行ってみたんです。

「一応検査しましょうか」と言われ、鼻にあの検査の棒を突っ込まれ、結果を待っていました。
周りの患者さんを見ていると、恐らくインフルエンザか風邪か・・・。うつされたら嫌だな、早く帰りたいなと思っていました。すると・・・
「はーい。B型出ました。5日間安静にしててねー。」と看護師さんから宣告が・・・。

すぐに隔離され、処方箋を出され、会計を終えて病院を出されました。
余談ですが、病院で驚いたことがひとつ。看護師さんたちは誰もマスクを付けていなかったことです。毎日毎日患者さんの対応をして、もう抗体なんかが出来ているんでしょうか・・・。

病院を出たその足で、最寄りの調剤薬局へ行きました。そこでももちろん隔離され、薬を処方されるのを待っていました。しばらくして薬剤師さんが持ってきて下さったのは、イナビルと言う吸引式の粉薬でした。噂には聞いていましたが、見るのは初めてです。もちろん吸うのも。

薬剤師さんが丁寧に説明して下さって、吸い込むのもきちんと見届けて下さいました。
イナビルは、タミフルなどの飲み薬と違い、一回の吸引でおしまいなのです。便利ですね。
しかし吸い込めと言われても、その薬がきちんと気管や肺まで届いているのか。少し不安でしたが薬剤師さんからはOKをもらいました。
その薬剤師さんはマスクをされていましたが、「私ももうインフルエンザとか全然なりませんね」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的でした。医療従事者の方には頭が下がります。

さて、帰宅してからももちろん隔離です。自室にこもり、食事を持ってきてもらう生活が5日間続きました。
トイレも他の家族が廊下に出ていない隙を狙って。お風呂も家族が寝てしまってから。食事もドアの隙間から渡さる。
インフルエンザになった私が一番悪いのですが、これはかなり悲しかったです。
その甲斐あって、家族には誰もうつりませんでしたが。

人生で初めてかかったインフルエンザ。どれだけつらい思いをするのだろうとおびえていましたが、実際はかなり楽でした。事前に予防接種をしていたためか熱も微熱どまりで、食欲も普通にあり、正直とても元気でした。
寝ていたのは一日くらいで、あとはパソコンの仕事などしていたくらいです。
B型自体、A型に比べて症状が軽いとあとで聞きましたが、本当に体は楽でした。
しかし、ウイルスが体に残っているので外出はできませんし、もちろん仕事にはいけません。
それがとてももどかしかったです。仕事に十分行ける状態だったのに、部屋の中にこもらなければなりません。
突然仕事に穴をあけてしまい、他の方に迷惑をかけてしまったことは本当に申し訳なく、情けなかったです。
また、インフルエンザだと分かるまでは普通に仕事に行っていたので、他の方々にうつしていないか、それもかなり心配でした。幸い、私以外インフルエンザにかかった人は職場にはいませんでした。

今年は暖かい日が多く、インフルエンザの流行も遅れて3月中旬以降までずれこんだそうです。
それに見事に当たってしまいました。
外出するときはマスクをして、外から戻ったらうがいと手洗いはかかしませんでした。しかしかかるときにはかかってしまうんですね。
もうインフルエンザの流行は終わったと思いますが、一度経験してしまうともう来年が怖くなってしまいました。
出来るだけ防御をして、来年は無事に過ごしたいです。


整形外科でヘルニアのリハビリ

私は今から3年ほど前まで柔道整復師として愛知県の整形外科でリハビリ業務に携わっていました。現在では接骨院で勤務しております。そちらの整形外科ではたくさんのヘルニアの患者さんが通院されていました。ヘルニアと言いましても腰のヘルニアや首のヘルニアやいろいろな種類のヘルニアがあります。腰のヘルニアは腰椎椎間板ヘルニアというのが正式な病名です。腰椎椎間板ヘルニアとは腰の骨と骨の間にある椎間板という軟骨の中から髄核という組織が外に飛び出し、それが神経を圧迫し腰の痛みや下半身の痺れなどの神経症状を伴う病気です。私がリハビリ業務でこの腰椎椎間板ヘルニアの患者さんを担当した経験を記載していきます。

こちらの整形外科ではまず院長の診察を受け問診や徒手検査をした後レントゲン撮影を行います。そして再度レントゲンの結果を院長が説明します。腰の骨と骨の間の間隔が狭かったりすると椎間板が圧迫され髄核が飛び出ている可能性が示唆されるのでヘルニアと診断される場合があります。ですが実際には髄核が神経を圧迫しているかはMRIという画像検査を行わないと確定出来ません。ここの院ではMRIは当日予約を取り後日行います。MRI検査は検査時間が長く当日は予約で埋まっているからです。

治療についてですが大きく分けて治療には手術とリハビリをしながら症状緩和を目指す保存療法があります。ここの院ではほとんどの患者さんがリハビリを受けておられました。リハビリの内容は牽引治療、電気治療、運動療法が主な物でした。牽引治療とは専用の牽引治療器で腰の骨と骨の間を広げる治療です。これにより椎間板にかかる圧力を減らすことが目的です。電気治療とは患部の周囲の筋肉に電気を流すことで、筋肉を動かし血流循環の改善を促し過緊張による痛みの軽減を目的とします。運動療法は運動をする事で関節の柔軟性を出したり筋力強化し腰の負担を軽減する事を目的とします。いずれの治療も適切に行えば効果のある治療で手術しなくても症状の緩和する患者さんはたくさんいました。症状が重く辛い思いをしている方はたくさんおられると思いますが、諦めず治療していただきたいと思います。


パソコンとの出会いと日常とパソコンって凄いなと思った

私は、高校2年の時にバイトを必死にして16万ほどするデスクトップパソコンを購入した、人生初めての大きな買い物がパソコンだった。
購入から一週間程度で我が家に自分専用のパソコンがきた。その時の自分は自分を抑えられないほどテンションが上がった、早く早くと思いすぐにその届いた大きな箱を必死に開けた、そこから見えるパソコンはもう言い表せないほど嬉しかった!、すぐに箱から出してまずパソコンの写真を撮って、すぐにセッティングをした。

最初は難しかったが全部終わった時の達成感はハンパなかった!、そういえばなんで買ったのかを言ってませんでしたね、自分は当時、ゲーム実況をしたくてパソコンを買いました。
丁度、ゲーム実況などが爆発的に増えてきている時期で自分もやってみたいと思い!買ったのである。それでは話を戻すけど、セッティングが終わったあとはすぐに動画編集ソフトを入れたり、録画ソフトを入れたりといろいろやった、楽しくて楽しくて仕方なかった、それで最初は下手くそな動画を作ってはYouTubeに上げて楽しんでいた。

だが当時は編集をこうすればいいとか全然考えずにやっていたから全然面白くない動画を出していた(笑)

そこで今から3ヶ月前くらいから編集の動画を手当たり次第見てこうしたらいい感じの映像になるとか必死に勉強して今に至る、まあ、今も下手なのは変わらないが、それでもコツコツ頑張っている。あと、動画制作意外にもアニメを見たり、映画をみたり、ニュースを調べたりして利用している、朝起きてはアニメを見て、動画を作っての繰り返しである。でもパソコンに出会って本当に良かったと思っている、パソコンは色々な人と話をする機会をくれる、顔も本名も知らない人と話をして気が合えば友達としてゲームをしたりと色々出来る、確かにリアルの友達も大事ではあるが、パソコンは沖縄と北海道の人が話をすることが出来る!それってすごいことだと思った、もっと大きく言えば日本から遠く離れたアメリカの人とも会話が出来る!本当にパソコンに出会って良かったと思う。前より知り合い増えたし、色々な情報を知ることが出来るし今の社会ではパソコンが使えて当たり前の時代だからそういう仕事の面にも使える、本当にパソコンとはすごいものだと改めて思う。
この経験を活かし色々なことをパソコンでやってみたいと思いました!
zei_etax


全国規模で実践されるソフトの買取

様々なタイプのソフトウェアが買取られる動向は、全国的な規模で実践されるようになり始めているのではないかと推測されています。ソフトの買取に関する動向が活発化することにも直結してきており、多岐にわたる種類のソフトウェアが売りに出されているのではないでしょうか。近頃では、ソフトウェアを積極的に買取しようとする店舗などが多く見受けられるようになりつつあることから、こうした傾向に拍車が掛けられていると言えるでしょう。

かつてに比べて何らかのソフトウェアを所有する人が非常に高い割合で存在するようになってきており、買取事業に本腰が入れられるケースが度々確認されています。そのため、ソフトの買取を希望する人も多く見受けられるようになり、様々な店舗において実践される動きとなりつつあると推測されています。買取の対象に据えられるソフトの種類も格段に増加してき始めているとみられていることから、買取を行う店舗に持ち寄る人も継続的に多い状態に維持されているのではないかと思います。また、こうした取り組みが展開されていることが意欲的に周知されるようにもなってきており、高い頻度で不要となったソフトウェアを買取ってもらうことも実現されていると認識されています。

今後もソフトの買取に関する取り組みが、全国規模で実践され続けていくのではないでしょうか。これまで以上に豊富な種類のソフトウェアが買取をしてもらえるようになることも見込まれているため、多岐にわたる方面からの期待も抱かれるようになっていくでしょう。パソコンの根幹を司るソフトや、アプリケーションの一部として役割をなすソフトなど、特定の種類のソフトウェアに偏ることなく買取が実践されるのではないかと考えられています。このような動向が広域で確認されるようになっていくことで、不要となったソフトを買取ってもらう人が一層多く確認されるようになっていくのではないかと予測されています。


甘いものが止まらない日々。

毎日寒い日が続いているので、「早く暖かくならないかな」と毎日のように思っています。
寒いのは正直あまり得意ではないので、冬ってどうしても引きこもりになってしまいがちになってしまいますよね。

ですが、そんな苦手な冬でもちょっとした楽しみがあるのです。
それはなんと言っても「期間限定のチョコレート」です。各メーカーから、冬になると限定チョコレートがたくさん発売されるので、それを毎年楽しみにしているのです。
ちょっとブランデーが入った大人なタイプのものから、冬が旬の苺などの果物入りのものなど、その種類はとっても豊富!毎日仕事帰りに「今日は何を買って帰ろう」とわくわくしてしまいます。
コンビニでもスーパーでも、たくさんのチョコレートが売られていて、毎回決めるのにとても時間がかかってしまいます。
20160302c
ちょっとリッチな気分の時は、ケーキ屋さんにもチョコレートを買いに出かけます。
ケーキ屋さんでも、期間限定のチョコレートを発売しているので、この期間の間にできるだけ多くのお店のものを食べようとたくさん出かけてしまうんですね。
チョコレート以外にも、スイーツなども魅力的!

冬は美味しい甘いものがたくさんあるので、困ってしまいますよね。
また、年末年始などもあるので食べる機会も増えてしまうのでダイエットをしなくてはとは思うのですが…。甘いものだけはどうしてもやめられませんよね。
ですが、今しか食べることができないので、冬が終わってからダイエットは始めるということにしておきます。


医学部に入学した同級生のこと

医学部卒なんて聞くとさぞや子供の頃から勉強ができ、順風満帆人生なのだろうなと思ってしまいそうですが、実際のところは皆がそういうわけでもないみたいです。

もちろん平均以上には勉強ができなければ無理でしょうが、私の女子高時代の同級生で医学部に入った子も、クラスで特別頭が良いというわけではありませんでした。

なぜその子が医師を目指していたかというと、おそらく家庭環境によるものだと思います。
父母ともお医者さんで、妹さんものちに看護師になりました。
私とその子のクラスのコースは英語科で、理数系学部の受験に合わせた教科はもちろん、3年生になると数学の授業さえありませんでした。
最初は医師を目指す人がなんで英語科にと不思議に思いましたが、本人にも色々あって高校入学後になってはっきりと医学系への進路を決めたのでしょう。

不足分の勉強を家庭教師で補ったりして頑張っていたようですが、結局2年浪人して医学部に合格することができました。
かなりお金を払って入学をしたなんて噂も聞きましたが、両親が医者で業界に通じているとなると、そういったケースも結構あるのかもしれません。

しかしその後の勉強もすごく大変だったようで、高校の同級生数人で開いた飲み会で会ったとき、すごく疲れた様子だったのを覚えています。
国家試験に合格したのかどうか、そのあたりで連絡が途絶えてしまったので結果はわかりません。

その子は性格が良く、見た目も綺麗な子だったので、医師なんて目指さずに普通の道を歩んでいた方が幸せだったような気がします。
お家の事情もあるので仕方ないのかもしれませんが、特別な学力がない子供にハードルの高い進路を無暗にすすめるのは罪だなと思ってしまいました。


スポンサーリンク